2016年07月29日

羽生結弦の左足首のケガはこんな状態でした


羽生くんは、昨年10月のシーズン序盤から、左足に痛みを抱えていました。

今から思えば、現在でもまだ完全回復とまではいっていない、あのリスフラン関節じん帯損傷だったのです。

シーズン最初の試合となる、「スケートカナダ」を目前に控えていたときのことでした。

そのケガは、最初は痛みというよりも、違和感だったのです。


羽生結弦スケートカナダ


トウループを跳ぶと痺れるものの、1〜2本跳ぶと痛くなくなる、つまり動くと治るので、それほど重要視は

していなかったそうです。

ある程度ケアしてもらっているので、「大丈夫だろう」と思って滑っているうちに、どんどん悪くなっていっ

たそうなんですね。

11月27日からの「NHK杯」の頃には、すでにちょっと痛みが出ていたようです。

そして12月25日に行われる「全日本選手権」への移動日前日には、痛みですでに、練習も出来ないくらい

になっていたのです。


羽生結弦NHK杯優勝2015


「今だから言えるけど、そのときは深刻でした。」というほど、足の状態が悪かったなんて…。

試合会場に入ってからも痛くて、アクセルの調子は最悪だったそうで、「全日本の時は、全部ぐちゃぐちゃ」

だったと振り返っています。

先に行われた「NHK杯」「GPファイナル」での演技とまでは行かなかったものの、そんな中で4連覇

果たすことが出来たのは、本当にすごいことだと思います。

その時の羽生くんは、「世界選手権」代表にも決まり、にこやかにファンからの声援に応えていましたが、

私たちの知らないその陰で、左足の痛みに悩まされていたのでした。







全日本が終わった後は、やっと10日間の休みが取れました。

その後、NHKのスペシャルエキシビションに出演、ニューイヤー・オン・アイスの前には病院でステロイド

注射を打ってもらったものの、すでに動けないほど痛くなっていたのです。

それでもニューイヤー・オン・アイスを欠席する訳にはいかず、痛み止めを飲んで滑っていました。

その時の状態を、羽生くんはこのように語っています。


羽生結弦エキシビション


「練習中に、シングルのトウループを1本跳んだら、激痛で死にそうになりました(笑)。」と。

私たちの想像を、はるかに絶するものだったのですね。

それで、ショーではトウループは絶対にやらない!と決め、痛くなかったルッツループサルコウの練習を

していたということです。

ニューイヤー・オン・アイスのあとは、完全休養に入りました。

この時が痛みのピークだったようで、歩くのも痛かったそうです。


羽生結弦エキシビション


痛みは、左足親指のインサイドでした。

庇いながら歩いていたので、違うところまでが痛くなったりと、本当に大変な思いをしていたのですね。

現在では大分回復して来ているようで、練習を再開していますが、でもまだジャンプを思うように跳ぶところ

までは、いってないようなのです。

1日も早く、元の元気な状態の羽生くんに、戻って欲しいと願っています。







posted by てるてる@ゆずリスト at 02:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月26日

羽生結弦「チーム・ブライアン」の元での練習は?


羽生くんは、練習拠点をカナダ・トロントに移しました。

練習場となるクリケットクラブでは、「チーム・ブライアン」とも言える体制が整っていました。

そこにはスケーティングの名手、トレイシー・ウィルソンがいて、スケーターたちの全体を見ていました。


羽生結弦・チームブライアン


またペイジ・アイストロップは、スピンを重点的に見ていて、2014年の夏からは、リー・バーケルが加

わりました。

トロントには、振り付け師のデイヴィッド・ウイルソンジェフリー・バトルシェイリーン・ボーンなどの

人たちがいて、振り付けの手直しなどはすぐに対応してくれるという、大変恵まれた環境でした。

そこで、特に羽生くんが打ち込んだのは、スケーティングだったのです。







ストロークスリーターンなど、初心に帰っての練習でした。

それまで「出来る」と思っていたことが、「出来ない」と言われて、悔しい思いをしたそうです。

けれどもそれによって、「もっときれいに出来るんだ」と、前向きな気持ちに切り替えたのです。

そんな羽生くんのスケーティングコーチは、トレイシーブライアンで、「こんなに集中しないといけない

の?」と思うほどの練習だったようです。


羽生結弦・クリケットクラブ


これまでは5、6個注意してやればよかったものが、一気に30個くらいに増やされた感じだったとか。

しかもまだちゃんと出来ないし、パッと出てこない、そんな段階だったというのに、チェックが厳しいので

「今、油断してたでしょ」と、トレイシーに言われたこともあったそうなのです。

それは、今までに作り上げられてきた自分のイメージを、一段階、完成形に近づけた感じだと言います。

こうして新しい環境に刺激され、充実した日々を送っていた、羽生くんでした。







posted by てるてる@ゆずリスト at 11:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月23日

羽生結弦が家族との時間を犠牲にしてまで選んだトロントは?


仙台で生活していた頃の羽生くんは、すごくお姉ちゃん子でもあったのですね。

しかし17歳でスケートのため、カナダに渡ることになった羽生くんでした。

カナダのトロントに移る時は、とても悲しかったそうです。


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そもそも、スケートを始めたキッカケになったのが、「お姉ちゃんがやってるから僕もやる。」というもの

だったのですね。

また小さいころには、「ずっと仙台でスケートをやって、仙台からオリンピックチャンピオンになる」と、

思っていたそうです。

しかし、「もっとスケートが上手くなりたい」という強い気持ちは、抑えられませんでした。


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家族と一緒にいる時間を犠牲にしてまでも、トロントに来てしまったからこそ、スケート以外の時であって

も、「スケートのためにトロントにいるんだ」という自覚が持てているのだそうです。

羽生くんは、時間によって練習、休憩、食事、就寝などと、キッチリとは区切らないタイプだそうです。

ちょっと意外な気がしますね。

きちんと几帳面にスケジュールを立て、普段もそれに沿って生活しているように思えるのですが…。

スケートに対しては、決められた時間にということではなく、自分の意志で向かっていくと言うのです。







トロントは、自分の意志で気持ちをコントロールしやすい環境にあるそうです。

それは「頑張らなくては」という気持ちではなく、それよりも、「やろう!」という思いなのです。

羽生くんがトロントに移ってから、もう4年が経ちましたね。

普段はゲームもしますが、基本的にトロントにいるときは、「全てがスケートのため」という気持ちで、日々

を過ごしているのだそうです。

羽生くんは、「カナダに移って本当によかったと思っている」と、言います。

もちろん、その気持ちは建前などではなく、心の底からのものでした。


羽生結弦「氷の城」


海外に行くという選択は、大変勇気のいるものです。

けれども、みんなで決めたことだから、みんなを信頼して、「泣き言を言っている場合ではない」と思った、

当時17歳の羽生くんでした。

最初の頃はコミュニケーションの壁があり、それが悪い方に働いて、出来なかった試合もあったとか。

でも、しばらくたった頃には充実していて、カナダに移ったのは無駄ではなかったと、思えるようになって

いたのですね。







posted by てるてる@ゆずリスト at 12:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする